発達障害とか運動障害とか言うときの「障害」という言葉は、「異常」と同義(4/4)

◆なぜ「障害」という言い方にひとは違和感を覚えるのか

 以上、今回は、発達障害とか運動障害とか言うときの、障害という言葉の意味を確認しました。ですけど、最後に、もう一歩だけ踏み入って見ておくことにして構いません?


「この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ない」ということを、前に確認しましたよね。言うなれば、ひとはみな正常である、って。誰かのことを異常と見ることは差別なんだ、って。


〈参考:そのことを下の記事で確認しました。〉


 なら、誰かのことを障害があると見ることも差別であるということになりませんか。さっきの3つの同義語のことを思い出してくださいよ。異常と障害は同義語でしたね?


 ひとが、●●障害といった言い方に違和感を覚えてきたのは、まさに、誰かのことを、障害があると見ることが差別であるというこのことを反映してのことではありませんか。

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2021年6月28日に文章を一部修正しました。


今回の最初の記事(1/4)はこちら。

 

発達障害とか運動障害とか言うときの「障害」という言葉は、「異常」と同義(3/4)

◆「発達障害」と「運動障害」を例に確認する

 いま、確認したことをまとめますね。


 身体に起こる出来事を一点のせいにする医学にとって、ひとを異常と判定するというのは、そのひとのことを、「身体のなかの或る一点によって、正常になるのを妨げられている」と見なすことである。そして、医学は、「身体のなかの或る一点によって、正常になるのを妨げられている」というそのことを、世間の語法にならって、障害と表現してきた、ということですね。


 要するに、つぎの3つが同義である、ということですよ。

  1. 異常
  2. 身体のなかの或る一点によって正常になるのを妨げられている
  3. 障害


 このことを、具体例を使って、最後に簡単に確認しておきましょうか。


 発達障害、はどうですか。その場合、つぎの3つが同義語になっているのではありませんか。

  1. 発達異常
  2. 発達が脳のなかの或る一点(原因)によって正常になるのを妨げられている
  3. 発達障害


 いっぽう運動障害、はどうですか。その場合は、つぎの3つが同義語になっているのではありませんか。

  1. 運動異常
  2. 運動が身体のなかの或る一点(原因)によって正常に起こるのを妨げられている
  3. 運動障害


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今回の最初の記事(1/4)はこちら。

 

発達障害とか運動障害とか言うときの「障害」という言葉は、「異常」と同義(2/4)

◆医学は、身体に起こる出来事を一点のせいにする

 医学の基礎であるところの、健康、病気の定義を確認するところから出直しますよ。何度もくり返していますように、医学は、健康を正常であること、病気を異常であることと独自に定義づけてきたということでしたよね。


〈参考:そのことについては下の記事で書きました。〉


 さて、そんな医学は、ひとを、正常もしくは異常と判定したあと、そのひとがそのように正常もしくは異常であることを、身体のなかの一点のせいにします。たとえば、みなさんが歩いているのを、医学がいま正常と判定したとしますよ。すると、医学は、そのようにみなさんが正常な歩行をしているのを、みなさんの身体のなかの脳という一点のせいにします。みなさんの脳が、歩くという運動をとることを企画立案し、それを実行するよう、電気信号の形で命令を、神経を介して手足の筋肉に送り、動かしている、ということにします(ほら、医学は、脳が歩行を司っていると表現しますよね?)。


 いっぽう、その歩行を、医学が異常と判定したとすれば、どうでしょう。


 医学は、そのように歩行が異常であるのを、身体のなかの一点のせいに、たとえば、脳のなかの一点のせいにします。たとえば、脳梗塞なんかのせいに、ね?


 するとどうなるか。


 脳のなかのその一点は歩行が正常に起こるのを妨げていることになりますね?


 したがって、裏返して言えば、こういうことになります。そのひとは、脳のなかのその一点によって、歩行が正常に起こるのを妨げられている、って。


 いま医学はこうすると言いました。まとめます。

  • ①ひとを異常と判定する。
  • ②そのように異常であることを、身体のなかの一点のせいにする
  • ③すると、そのひとは、その一点によって、正常になるのを妨げられていることになる


 つづめて言えば、身体に起こる出来事を身体のなかの一点のせいにする(上記②)医学にとって、ひとを異常と判定する(上記①)というのは、そのひとのことを、身体のなかの或る一点によって、正常になるのを妨げられている(上記③)、と見なすことである、ということですね。


 いま、つぎのふたつが同義であることが確認できました。

  1. 異常
  2. 身体のなかの或る一点によって正常になるのを妨げられている


 では、ここで、最初に、頭の隅っこに置いておくことにしたものを、とり出してみてくれますか。さあ、思い出してみてくださいよ。冒頭で、障害という言葉にはふたつの意味があると確認しましたよね。そのふたつを再掲します。

  • A.障害物
  • B.(障害物によって何かが起こるのが妨げられている状態


 いま、ひとを異常と判定するというのは、そのひとのことを、「身体のなかの或る一点によって、正常になるのを妨げられている」と見なすということだと確認しました。そのように「〜によって、何かが起こるのが妨げられている」のを、医学は、いま再掲しました、世間での語法Bにならって障害と呼ぶというわけですよ。


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2021年6月29日に文章を一部修正しました。

 

発達障害とか運動障害とか言うときの「障害」という言葉は、「異常」と同義(1/4)

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目次
・世間で用いられる障害という言葉の意味ふたつ
・医学は、身体に起こる出来事を一点のせいにする
・「発達障害」と「運動障害」を例に確認する
・なぜ「障害」という言い方にひとは違和感を覚えるのか


◆世間で用いられる障害という言葉の意味ふたつ

 発達障害とか双極性障害とか運動障害といったように、医学では障害といった用語がしばしば使われますね。


 そして最近では、その障害という表記の代わりに、障がい、もしくは障碍と書かれることがありますね。


 でも、そうした、障害障がい障碍(以下、障害とのみ記す)、といった用語はいったい何を意味しているのでしょうか


 今回は、その意味を特定します。


 いきなりですけど、世間で用いられる障害という言葉には、つぎのふたつの意味がありません?

  • A.障害物
  • B.(障害物によって)何かが起こるのが妨げられている状態


 たとえば、こんなふうなことを言うときがありますね? 「ロメロとジュリエッタは、数々の障害を乗り越えて、愛を実らせた」。この場合の障害という言葉は、Aの「障害物」を意味するのではありませんか。


 いっぽうこう言うときはどうですか。「インターネットに接続できない。通信障害が起こっているらしい」。この場合の障害という言葉は、通信の実現が、何らかの障害物によって、妨げられている状態、を意味しているのでありませんか。その障害という言葉は、先のB「(障害物によって)何かが起こるのが妨げられている状態」を意味するのではありませんか。


 発達障害や運動障害といったように医学で使われる障害という用語は、ちょうどいま言いました、B「(障害物によって)何かが起こるのが妨げられている状態のほうを意味しているのではないでしょうか。


 でも、仮にそうだとして、この場合、(障害物によって)何が起こるのが妨げられている、と言っているのか?


 いやいや、ちょっと先を急ぎすぎました。世間で用いられる障害という言葉には、意味がふたつあるというこのことは一旦、頭の隅っこに寄せておくことにして、ゆっくり一からから考えはじめることにしましょうか。


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2021年6月29日に文章を一部修正しました。

 

精神科を訪れた女性が「ブス、ブスという声が聞こえてきて、うるさくて堪らないので、整形手術をしてほしい」と言うことで、訴え、要望しているのは何か(2/2)

 いま、ひとしきり仮定の話をしましたね。その仮定は、つぎの一例を参考にしました。いわゆる「統合失調症の症例」とされるものですよ。

 ある女性は、「ブス、ブス」という声が聞こえてきて、うるさくて堪らないので、整形手術をしてほしいと、精神科を受診してきた。ブスと言われないように整形手術をしてほしい、というのが彼女の「主訴」である(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.218)。


 で、それについては、つづけてこう書かれています。

しかし考えてみれば、整形手術をしたいのであれば、精神科ではなく美容整形外科を訪れるはずである。ところが彼女は、精神科を自ら選んでやってきたのである。つまり彼女は、口に出しては言わないものの、自分に何らかの精神的なトラブルが起きていることを、それとなく自覚していたということになる。患者は病気という自覚、つまり病識はもちにくいが、病気かもしれない、何か変だという感覚(「病感」と呼ぶ)を抱いていることが多いのである(同書、同ページ)。


 ちょうどいま読んだ部分から、精神医学はこう受けとりたがっているのではないかと思えてきませんでした? すなわち、この女性は、自分の身に「異常が起こっていると訴え、「正常になりたいと要望しているんだ、って。この女性が精神科医のまえで争点にしているのは、「正常か、異常か」なんだ、って。


 けど、先にこう言いましたよね。この女性は、「ブス、ブスという声が聞こえてきて、うるさくて堪らないので、整形手術をしてほしい」と言うことで、単に苦しいと訴え、苦しまないで居てられるようになりたいと要望しているだけなのではないか、って。それをここで、もう少し補足して、こう言い直してみますよ。この女性は、「精神的に苦しい」と訴え、「精神的に苦しまないで居てられるようになりたい」と要望しているのではないか、っていうふうに。


 この女性は、そうした「精神的な苦しみ」を争点にするのは精神科であると考え、当科の門を叩いたのかもしれませんよね。


 今回は、みなさんが精神科を訪れ、「ブス、ブスという声が聞こえてきて、うるさくて堪らないので、整形手術をしてほしい」と言ったものと仮定し、そのみなさんの訴えと要望について、考察しました。ちなみに、そう仮定する際に参考にした、上記女性の例については、先日、下の記事でもっと詳しく見ました。その女性の言う「ブス、ブスという声が聞こえて」くるというのが何を意味するのか、理解しようとするところから、ね。

 



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〈参考:「今年一年健康でありますように」とか「早く病気が治りますように」などと祈念しているとき、胸のなかで争点にしているのは、「正常か、異常か」か、それとも「苦しくないか、苦しいか」なのか、考えます〉