医学に差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」とされるひとたち(5/5)

◆みなさんがほんとうに争点にするのは「普通か、普通じゃないか」か

 さて、この文章を終えるまえに、もう一度、頭にもどって、ひとつ大事なことを簡単に確認しておきましょうか。


 繰り返し言っていますように、医学は健康を正常であること、病気を異常であることと独自に定義づけてやってきました。医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言って、争点にしてきたのは、「正常か、異常か」だったわけですね。それはもっと突きつめて言えば、「標準以上か標準より劣っているか」(簡単に言えば、普通か普通じゃないか)であると、今回あらたに確認できたわけですね。


 だけど、みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、争点にするのは、ほんとうにそんな、「標準以上か、標準より劣っているか」ということですか?


 自分の胸に手をおいて、ようく、心の声に耳を澄ませてみてくださいよ。


 みなさんが、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、ほんとうは、そんな「標準以上か、標準より劣っているか」なんかではなく、「苦しくないか苦しいか」ではありませんか。


 みなさんにとって真に治療の名に値するのは、苦しまないで居てられるようになることを目的とするもの、ではありませんか。


 みなさんが心の底で真に医学に求めるのは、ひとが苦しまないで居てられるようになるのを手助けすること、ではありませんか。


 この世に、異常なひとなど、ただのひとりも存在し得ません。にもかかわらず、医学は一部のひとたちのことを不当にも異常と決めつけ、差別してきました。その、医学に差別されてきたひとたちというのは、「標準的なひとたちより劣っている」と医学に見られるひとたちであるということを、今回は確認しました。


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医学に差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」とされるひとたち(4/5)

◆今回わかったこと

 以上、今回わかったのはこういうことです。


 医学は健康を正常であること、病気を異常であることと独自に定義づけてやってきたということでしたよね。だけど、この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ない。言うなれば、ひとはみな正常である。にもかかわらず、医学は一部のひとたちを不当にも異常と決めつけ、差別してきた。で、そのように差別されてきたのは誰かというと、「標準的なひとたちより劣っていると医学に見られるひとたちである、ということでしたね。


 すなわち、「悪い意味で普通じゃない*1と医学に見られるひとたちである、って。


 たとえば、いましきりに、「発達障害キャンペーン」をやっているのが目に付きます。現にそこでは、発達が「標準のひとたちより劣っている」と医学に見られたひとたちが、あらたに次から次へと、不当にも異常と決めつけられ、差別されていっているのではありませんか。


 世の中には、発達障害キャンペーンに嫌悪感を示すひとが少なからずいるようですけど、そのひとたちは、鋭い嗅覚で、それが差別に他ならないことに薄々感づいているのではないかと俺、思います。




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*1:繰り返しますが、俺はひとのことをそんなふうに呼ぶことを決してしません。

医学に差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」とされるひとたち(3/5)

◆異常と決めつけられ、差別されるのはどのグループか

 だとすると、どうなります?


 当然、グループA標準的なひとたち」は、そのイメージに合致していることになりますね。


 医学はその「イメージに合致している」ことを問題無しとし、そのひとたちのことを正常ということにするのではないでしょうか。


 いっぽう、残り2グループはどうなるでしょう。


 グループB「標準的なひとたち(A)より優れているひとたち」とグループC「標準的なひとたち(A)より劣っているひとたち」は自動的に、そのイメージには合致していないことになりますね。


 では、その「イメージに合致していない」ことを、医学はどう捉えるのか。


 グループB標準的なひとたちより優れているひとたち」については、その「イメージに合致してない」ことを、問題無しと見て、いや、それどころか、喜ばしいことと受けとって、そのひとたちのことを、天才(正常の一種?)ということにするのではないでしょうか。


 そして反対に、グループC標準的なひとたちより劣っているひとたち」については、そのイメージに合致していないことを、問題視して、そのひとたちのことを、異常ということにするのではないでしょうか。


 いま言ったことをまとめます。グループA、B、C、はそれぞれ、医学に、つぎのように判定されるのではないかということでした。

  • A.正常
  • B.天才(正常の一種?)
  • C.異常


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医学に差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」とされるひとたち(2/5)

◆「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージの作り方

 医学はひとを、世間の人々とおなじように、つぎの3つのグループに分ける、と言えるのではないでしょうか。

  • A.標準的なひとたち
  • B.標準的なひとたち(A)より優れているひとたち
  • C.標準的なひとたち(A)より劣っているひとたち


 この3グループはそれぞれ、世間ではよく、こんなふうに呼ばれますね?(ちなみに俺はそんなふうにひとを呼ぶことは決してしません)

  • A.普通のひとたち
  • B.良い意味で、普通じゃないひとたち
  • C.悪い意味で、普通じゃないひとたち


 さて、ここで、ひとを正常もくしは異常と判定するというのは、何をどうすることだったか、復習しましょう。


 こういうことでしたよね。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  • ②その「イメージに合致している」ことを問題無しとすること。


 いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②その「イメージに合致していない」ことを問題視すること


 である、って。


 つまり、ひとが正常であるか、それとも異常であるかを、こちらのもっている「ひととはコレコレこういうものだというイメージにそのひとが合致しているか、していないかで決める、ということですね。


 では、いまから、ひとを正常もしくは異常と判定するさいに医学が拠り所とするその「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージについて考えてみますよ。


 そのイメージはどうやって作られるのか


 医学は、世間の人々とおなじく、ひとを3グループに分けるのではないかということでしたよね。医学は、その3グループのなかのグループA標準的なひとたちのありようを指してまさにひととはコレコレこういうものだとするのではありませんか。


 要するに、ひとが正常なのか、それとも異常なのかを決めるさいに医学が拠り所とする、「ひととはコレコレこういうものだというイメージは、いわば、グループA標準的なひとたちのありようのこと、と言っても構わないのではありませんか。


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医学に差別されてきたのは、そしてされていくのは、「標準より劣っている」とされるひとたち(1/5)

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目次
・医学は誰を差別するか
・「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージの作り方
・異常と決めつけられ、差別されるのはどのグループか
・今回わかったこと
・みなさんがほんとうに争点にするのは「普通か、普通じゃないか」か


◆医学は誰を差別するか

 医学は健康を正常であること、病気を異常であることと独自に定義づけてやってきた、ということでしたよね。

 

〈参考1:そのことを下の記事で確認しました。〉

 

 でも、この世に異常なひとなど、ただのひとりも存在し得ない、ということを先日、確認しました。


 言うなれば、ひとはみな正常である、って。


 にもかかわらず、医学は一部のひとたちを不当にも異常と決めつけ、差別してきたんだ、って。

 

〈参考2:そのことを確認したのは次の記事でです。〉

 

 ではいったい誰が不当にもそのように異常と決めつけられ差別されてきたのか


 今回はそれが誰なのか特定します。


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