で、ヘイワード、そのあとにもう一度、神のお告げを聞いたって書いてあったの覚えてる?
「さらにこのあと夜が明けきらない時間にもまた、『はよ東京に出る支度をせんか』との声があった」って?
そのとき、間さんは、一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立ったのかもしれないね。
でも、間さんにしてみると、自分がそこで、そんな(急な?)ことを思い立ったりするはずはなかった。
いや、その間さんの見立てもまた、語弊があるかもしれないけど、こう言い直してみることにしようか。そのとき間さんには、自分がそんなことを思い立ったはずはないという自信があったんだ、って。
間さんは、一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立った(現実)。だけど、その間さんには、自分がそんなことを思い立ったはずはないという「自信」があった。
このように、「現実」と「自信」とが相反したところで、間さんがとることのできた手は、あたしが思うに、さっきと一緒で、次のふたつのうちのいずれかだよ。
- A.その相反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- B.その相反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
そしてここでも間さんは、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。自分が一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立ったはずはない、とするその「自信」に合うよう、「現実」をこう解した。
「はよ東京に出る支度をせんか」という声が聞こえてきた、って。
今回の最初の記事(1/5)はこちら。
2021年8月13日に文章を一部修正しました。
統合失調症と診断されたひとたちの”症例”をとりあげ、そうした”症例”が、医学の言うところとはまったく反対に、誰にでも「理解可能」であることを、下のシリーズで確認しています(つまり、人間理解力が不足している医学が、ほんとうは理解できるそのひとたちのことを、おのれに都合良く、理解不可能と決めつけてきただけであることを確認しています)。