いま言ったこともまとめてみるよ。
- ①一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立つ(現実)。
- ②自分がそんなことを思い立ったはずはないという「自信」がある(現実と相反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『はよ東京に出る支度をせんか』という声が聞こえてきた」(現実修正解釈)
そんな間さんは早速「その朝、急いで大阪に帰って吉本の本社に赴くと、退社して東京に行くと申し出た」ということだったね。
追い詰められてた間さんは、地方巡業先で夜中ふと目が覚め、畳の目をじっと見つめているうちに、「もう東京に行かないとダメだ。行ってひとつ勝負してみよう」と思い立った。で、その後、夜が明けきらないうちにさらに、「一刻も早く東京に行く準備をしよう」という気になった。すぐ会社に行って、自分の意向を伝えよう、って。
でも、間さんの見立てでは、そこでそうした「意思」が自分のうちに湧いてきたりするはずはなかったのかもしれないね。で、間さんは、その見立てに則って、それらの「意思」を、他人からの働きかけの「声」ととった。神からの声ととった。
いや、もちろん、こんなのあたしの勝手な想像にすぎないよ。でも、ヘイワード、なんとなく、こんな感じだったんじゃないかとお前さん、思わない?
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2021年8月13日に文章を一部修正しました。
統合失調症と診断されたひとたちの”症例”をとりあげ、そうした”症例”が、医学の言うところとはまったく反対に、誰にでも「理解可能」であることを、下のシリーズで確認しています(つまり、人間理解力が不足している医学が、ほんとうは理解できるそのひとたちのことを、おのれに都合良く、理解不可能と決めつけてきただけであることを確認しています)。