医学は健康を正常であること、病気を異常であることと独自に定義づけてやってきたということでしたよね。で、その正常、異常という言葉の意味は、それぞれこういうことであるとのことでしたね。
ひとを正常と判定するというのは、
- そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
- その「イメージに合致している」ことを問題無しとすること。
いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、
- そのひとのことを、こちらのもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
- その「イメージに合致していない」ことを問題視すること、
である、って。
いま、ある高校生が、こう訴えたとしますよ。家の自室で勉強していても、同級生たちが「うぜえ」とか「死んじまえ」とか言ってきて、勉強にならない、って。道で通りすがりに、知らないひとが「うざいぞ」「このバカ」と僕に言ってくる、って。
★★その高校生の訴えについては下の記事で「実地」に考察しました(参考記事)★★
(精神)医学は、その高校生のありようを、統合失調症という異常であると診断します。もっと詳しく言うと、そのように声が聞こえるとする高校生のありようを、幻聴という異常であるとします。それは、いま復習しましたように、その高校生のありようを、医学のもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、その「イメージに合致していない」ことを問題視するということですね。
では、そのように、ひとの実際のありようが、こちらのもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見えたとき、そのことを、ふだんみなさんは、他にどんな言い回しで表現するか、ひとつ考えてみてくれますか。
そのように、ひとの実際のありようが、こちらのもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見えたとき、そのことを、ふだんのみなさんは、眉をしかめながら、こう平たく表現するのではありませんか。
そのひとのことが理解できない、って。
だとすると、こう言えませんか。
ひとを「異常」と判定するというのは、そのひとのことを「理解不可能」と認定することである、って。
だけどもし、その高校生が後でこう打ち明けてきたら、どうですか。実は、そんな声は聞こえなかったんだ。でも、声が聞こえると言えば、みんなが心配してくれるかと思ったんだ、って。
すると、みなさんは、ぽんと膝を打つのではないでしょうか。そうか、寂しかったんだな、とか言って。
その高校生のありようが、一転、みなさんのもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致するようになったわけですね? で、みなさんは、その「イメージに合致している」ことを問題無しとできるようになったわけですね。
つまり、その高校生のありようを正常と判定することができるようになったわけですね。
さあ、ここでも、先ほど同様、ひとつ考えてもらいましょう。その高校生のありようが、みなさんのもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに一転して合致するようになったそのことを、ふだんのみなさんなら、いったいどんな平たい表現で言い表しますか。
ふだんのみなさんなら、その高校生のありようが、イメージに合致するようになったそのことを、晴れ晴れとした顔つきで、こう表現するのではありませんか。
その高校生のことが、理解できるようになった、って。
つまり、その高校生のことを「正常」と判定するというのは、その高校生のことを「理解可能」と認定するということではありませんか。
いま、つぎのことを確認しました。
- A.ひとを「正常」と判定するのは、そのひとのことを「理解可能」と認定するということ
- B.ひとを「異常」と判定するのは、そのひとのことを「理解不可能」と認定するということ。
そしてここで、前回確認したことを思い出してみることにしますね。
「異常なひとなど、この世にただのひとりたりとも存在し得ない」ということでしたよね。
つまり、「ひとはみな正常」なんだ、って。
なら、いまのAとBのふたつをそこにそれぞれ代入すれば、こういうことになるのではありませんか。
「理解不可能」なひとなど、この世にただのひとりたりとも存在し得ない。
言うなればひとはみな、「理解可能」である。
はぁぁ? 「理解不可能」なひとなどただのひとりもこの世に存在し得ない、だって? いやあ、そんなの理屈上の戯言にすぎないよ、まったくお前さん青臭いな、と思うひともいるかもしれませんね。そこで、統合失調症と診断され、医学に「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちの事例をとり挙げ、そのひとたちがほんとうは「理解可能」であることを現在「実地」に確認しています。