ひとを異常と診断することが差別である理由(1/2)

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 早速、正常、異常という言葉の意味を確認した前回のつづきを話させてもらいますね。


〈参考:その「前回」はこちら〉


 ふだんみなさんが、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、「苦しくないか苦しいか」、である。だけど、医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言って争点にしてきたのは、それとはまったく別のことだった。すなわち、正常か異常か、だった。(身体をあやまって機械と見なす)医学は(苦しいとか苦しくないとかいうのが何であるか理解できず)、健康を正常であること病気を異常であることと独自に定義づけてやってきたんだ、ということでしたね。


 では、そのように医学が、健康、病気をそれぞれ独自に定義づけるさいに用いてきた、正常、異常、という言葉の意味は何なのか、というと、こういうことでした。


 ひとを正常と判定するというのは、

  1. そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  2. その「イメージに合致している」ことを問題無しとすること。


 いっぽう、ひとを異常と判定するというのは、

  1. そのひとのことを、こちらがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  2. その「イメージに合致していない」ことを問題視すること、


 である、ということでしたね。


 ところが、このように正常、異常という言葉の意味をひと度、確認してみると、「異常な人間などこの世にただのひとりも存在し得ないということが即座に明らかになってくるということでした。


 どういうことか。


 今回は、そのことを確認します。


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