正常、異常という言葉の意味、考えてみたことあります、説明できます?(2/3)

◆異常気象という言葉を例に考えてみる

 最近は、「異常気象」という言葉を、いろんなひとがさも当然のように口にします。この「異常気象」という言葉を例に考察するところからはじめましょうか。


 ひとは、その「異常気象」という言葉で、果して何を表現しようとしているのか?


 どなたもみな、気象というものにたいし、「気象とはコレコレこういうものだ」というイメージをもっていますよね。たとえば、俺の住む地域でいえば、気象は一年を通して温順で、雨はそれほど多くはなく、台風等の被害も少なくて、非常に過ごしやすい、といったイメージがあります。


 みなさんもそんなふうに、みなさんの住む地域の気象について、「気象とはコレコレこういうものだ」というイメージをもっているのではありませんか。


 そんなみなさんが、たとえば、最近の夏の気象を異常と言うとしますね?


 それは、何をどうすることか。


 それは、最近の夏の気象のありようが、みなさんのもっている、「夏の気象とはコレコレこういうものだというイメージに合致していないと見ることではありませんか。


 そして、その「イメージに合致していない」ことを、問題視することではありませんか。


 いま、最近の夏の気象を、異常、と判定するというのは、こうすることではないかと言いました。

  1. 最近の夏の気象を、みなさんのもっている「夏の気象とはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  2. その「イメージに合致していない」ことを、問題視すること、


 である、って。


 では、いま言ったことを、もうひとつ別の例でも、確認してみましょう。


◆いつもむっつりしている男が無邪気にはしゃいでいる

 今度は、いつもむっつりしているひとがいるとしますよ。そのひとが、あるとき、無邪気にはしゃいでいた。その姿を目の当たりにして、「ヤツ、壊れてるよ」と、自分のこめかみの辺りを叩きながら言うゲスイ人間がいるとしますね。そのゲスイ人間は、珍しく、はしゃいでいる、そのひとのありようを、異常と言っているわけですね?


 さあ、考えてみましょう。珍しく、はしゃいでいる、そのひとのありようを、異常と見なすというのは、何をどうすることか。


 それは、無邪気にはしゃいでいるそのひとのありようを、こちらがもっている「ヤツはコレコレこういう人間であるというイメージに合致していないと見ることではありませんか。で、その「イメージに合致していない」ことを問題視することではありませんか。


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正常、異常という言葉の意味、考えてみたことあります、説明できます?(1/3)

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目次
・異常気象という言葉を例に考えてみる
・いつもむっつりしている男が無邪気にはしゃいでいる
・ひとを正常もしくは異常と判定するというのは
・意味がわかった途端、胸中に兆す疑念


 ひとはみな、当たり前のように、何かや誰かのことを、正常だとか、いや異常だとかと言うけど、ひょっとすると、誰ひとりとしてその正常とか異常とかいう言葉の意味を真剣に考えてみたことがないのかもしれないな。


 ひょっとすると、その言葉の意味をちゃんと説明できるひといないのかもしれないな。


 みなさん、そう思いながら、頬杖をつき、遠くを見つめたこと、ありませんか。


 正常、異常という言葉について、前回お目にかかったとき、みなさんとこんな話を交わしました。

 

★★これがその「前回」です(参考)★★

 

 ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない」ということを表現するものであるいっぽう、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということを、その苦しみが手に負えないようなときに表現するものではないか、って。


 つまり、みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、「苦しくないか苦しいか」ではないか、って。


 だけど医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしてきたのは、それとはまったく別のことだった。正常か異常か、だった。


 実に医学は健康を正常であること病気を異常であることと独自に定義づけてやってきたんだ、って。


 ところが、いまさっき冒頭で触れましたように、じゃあその正常とか異常とかいう言葉の意味はいったい何なのか(英語で言うと、organizedとdisorganized?)となるとイマイチはっきりしませんね?


 誰かが、それらの言葉の意味を論じているのを、みなさん、見かけたことあります?


 俺、ウン十年生きてきて、ただの1度も見かけたこと、ありませんよ。


 みなさんはどうですか。若い頃から一生懸命いろんな本を読みあさりながら黙々と思索を重ねてきたみなさんですら、ひょっとすると、正常とか異常とかいう言葉の意味が論じられている場面を見た覚えは0なのではありませんか?


 今回は正常異常というそれら言葉の意味をみなさんと一緒に考えます。ふだんみなさんが、それらの言葉をポロっと口に出す場面を例にとりながら、ね?


 それら言葉の意味が明確になったとき、もしかすると、何か、非常に貴重な発見があるかもしれませんよ?


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健康と病気の定義はそれでOK?

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 何事も基礎が大事だと言いますね? 


 でも、基礎はしばしば、なおざりにされると言いません?


 なら、新年早々、ひとつ、基礎について、考えてみましょうか。


 何の基礎について考えます?


 医学の基礎?


 医学の基礎というと、たとえば、健康と病気、それぞれの定義、とかですか?


 いや、だって、仮にですよ、健康と病気の定義がそれぞれ、おかしかったら、どうなります?


 治療の目的が、おかしくなるじゃ、あ〜りませんか。


 それって、とても、こわいことじゃありません?


 では、今回は健康と病気それぞれの定義について考えてみるということで。


 じゃあ、ちょっと、しばらくの間、心を真っ白にしてみてくれますか。心を真っ白したその状態で、健康と病気という言葉それぞれがもつ語感を、確認してみてくれますか。


 自分の胸に手を置いて心の底から聞こえてくる声にようく耳を澄ませてみてくださいよ。健康とか病気とかいう言葉を口にするとき、心の底からいったい何が聞こえてくるか。


 みなさん、いま神頼みしているものと想像してみてください。今年一年、健康でいられますように、とか、健康になりますように、とか、って。


 切実に健康を願っているそのとき、健康というその言葉は、みなさんの心にとって、何を表現するものですか?


 苦しんでいないということを表現するものではありませんか。


 いっぽう、病気という言葉はどうですか。


 病気になりませんように、とか、病気が治りますようにとかと切実に願っているそのとき、病気というその言葉は、みなさんの心にとって、苦しんでいるということと、その苦しみが自分には手に負えないということを、表現するものではありませんか。


 いまみなさん、自分の胸に手をおいて、心の底から聞こえてくる切実な声に耳を澄ませてくれましたね? で、何がわかったか。


 ふだんみなさんが、やれ健康だ、やれ病気だ、としきりに言うことによって、争点にしているのは実は、苦しくないか苦しいか、じゃないか、ということですよね。


 もし、実際、そういうことなら、どうなります?


 みなさんは心の底では、治療というものに、苦しまないで居てられるようになることを目的とするものであってほしがっている、ということになりませんか。


 だけど、医学は、健康を正常であること病気を異常であることと、定義づけてやってきました。やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、医学が争点にしてきたのは、あくまでも、正常か異常か、でした。


 そして医学は、治療とは、診察で見つかった異常を無くすこと、としてきました、ね? 診察で見つかった異常を無くすためには、治療に伴う苦しさ(副作用、毒性、副反応)は、よっぽど重篤なもの以外は我慢して当然、といった感じでやってきました、ね?


 こうして、自分の胸に手をおき、心の底から聞こえてくる切実な声に耳を澄ませてきたみなさんは、つぎの疑問に真っ向からぶつかることになったわけです。

(了)

 

 

2021年2月27日に文章を一部修正しました。

 

「神のお告げが聞こえた」を理解する5/5

 いま言ったこともまとめてみるよ。

  • ①一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立つ(現実)。
  • ②自分がそんなことを思い立ったはずはないという「自信」がある(現実と相反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『はよ東京に出る支度をせんか』という声が聞こえてきた」(現実修正解釈


 そんな間さんは早速「その朝、急いで大阪に帰って吉本の本社に赴くと、退社して東京に行くと申し出た」ということだったね。


 追い詰められてた間さんは、地方巡業先で夜中ふと目が覚め、畳の目をじっと見つめているうちに、「もう東京に行かないとダメだ行ってひとつ勝負してみようと思い立った。で、その後、夜が明けきらないうちにさらに、「一刻も早く東京に行く準備をしようという気になった。すぐ会社に行って、自分の意向を伝えよう、って。


 でも、間さんの見立てでは、そこでそうした「意思」が自分のうちに湧いてきたりするはずはなかったのかもしれないね。で、間さんは、その見立てに則って、それらの「意思」を、他人からの働きかけのととった神からのととった。


 いや、もちろん、こんなのあたしの勝手な想像にすぎないよ。でも、ヘイワード、なんとなく、こんな感じだったんじゃないかとお前さん、思わない?


4/5へ戻る←) (了)         

 

 

今回の最初の記事(1/5)はこちら。

 

2021年8月13日に文章を一部修正しました。


統合失調症と診断されたひとたちの”症例”をとりあげ、そうした”症例”が、医学の言うところとはまったく反対に、誰にでも「理解可能」であることを、下のシリーズで確認しています(つまり、人間理解力が不足している医学が、ほんとうは理解できるそのひとたちのことを、おのれに都合良く、理解不可能と決めつけてきただけであることを確認しています)。

 

「神のお告げが聞こえた」を理解する4/5

 で、ヘイワード、そのあとにもう一度、神のお告げを聞いたって書いてあったの覚えてる?


「さらにこのあと夜が明けきらない時間にもまた、『はよ東京に出る支度をせんか』との声があった」って?


 そのとき、間さんは、一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立ったのかもしれないね。


 でも、間さんにしてみると、自分がそこで、そんな(急な?)ことを思い立ったりするはずはなかった。


 いや、その間さんの見立てもまた、語弊があるかもしれないけど、こう言い直してみることにしようか。そのとき間さんには、自分がそんなことを思い立ったはずはないという自信があったんだ、って。


 間さんは、一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立った(現実)。だけど、その間さんには、自分がそんなことを思い立ったはずはないという「自信」があった。


 このように、「現実自信とが相反したところで、間さんがとることのできた手は、あたしが思うに、さっきと一緒で、次のふたつのうちのいずれかだよ。

  • A.その相反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  • B.その相反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう修正する


 そしてここでも間さんは、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。自分が一刻も早く東京に行く準備をしようと思い立ったはずはない、とするその「自信」に合うよう、「現実」をこう解した。


「はよ東京に出る支度をせんか」という声が聞こえてきた、って。


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今回の最初の記事(1/5)はこちら。

 

2021年8月13日に文章を一部修正しました。


統合失調症と診断されたひとたちの”症例”をとりあげ、そうした”症例”が、医学の言うところとはまったく反対に、誰にでも「理解可能」であることを、下のシリーズで確認しています(つまり、人間理解力が不足している医学が、ほんとうは理解できるそのひとたちのことを、おのれに都合良く、理解不可能と決めつけてきただけであることを確認しています)。